about Lee Jeongmi
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こむろひとし
いたばしふみお
さくまじゅんぺい
たけだゆみこ(愛称きんちゃん)
やのとしひろ
むこうじまゆりこ
せりざわしげき
いよんえ Lee Young-Ae
李政美(い・ぢょんみ)という歌手を知っておられるでしょうか。
「朝露」という歌が、日本でたくさんの人々に愛され歌われつづけてきたことを、ほとんどの韓国の人たちは知らないだろう。
パラは、チリのヌエバ・カンシオン運動の先駆者でもある。1952年頃から民謡の研究を始め、ギターを弾きながら歌を歌い、チリ各地の農村や鉱山地帯を歩き回り、うずもれていたたくさんの歌を拾い集めた。そうした歌の中には、力をもたない民衆の生活からにじみ出るような切実な訴えの歌があり、その訴えをビオレータは身をもって知ることとなった。1964年、ビオレータは自分の家を「パラ家のペーニャ」(ペーニャとはライブハウスのようなもの)とし、そこに集う歌い手たちが民衆の声「ヌエバ・カンシオン」を歌った。そのペーニャに集う一人にビクトル・ハラ(1938~1973)がいた。彼はヌエバ・カンシオンの運動の中心的担い手となる。1970年、人民連合が民衆の支持を得て選挙に勝利し、アジェンデ政権が誕生し、民衆のためのアジェンデの政策にパラは熱心に協力することになる。しかし、チリでは1973年にアジェンデ政権は悲劇的な結末を迎えた。軍部によるクーデターが起こり、アジェンデ大統領は殺害され軍部による独裁政治が始まった。このとき、ビクトル・ハラも捕まり、
彼は捕まった仲間を歌で励まそうとし、歌いながら殺された。他にも多くの歌い手が国外追放になった。
歌の力を強く感じ、その力が直接涙腺に響くステージとなりました。昨夜のステージが今回のツアーの最終日となるとの事。
李政美さんの唄の凄さを全身で感じた夜となりました。力強く美しい李さんの歌声は肌を通り抜けて心の柔らかい部分に達し、時として僕の涙腺を刺激しました。唄を聴くにつれ、心が洗われるような不思議な心地よさを感じました。
願生(がんしょう)――願って生まれ、願って生き、苦難を背負った人々とともにあることを願い、よりよく生きられる世の中を願うこと。どんな困難をも糧として生きる人々との出会いを、朴慶南(ぱくきょんなむ)さんがしなやかで柔らかな文章で綴ったエッセー集。
佐高信の“いまの日本を暴く”最新対談集。巻頭に亀井静香を登場させ、「今の政治家は戦前を知らなさすぎですよ。それで日韓関係などバカなことを言うなということですね。従軍慰安婦問題もそうです。当時、韓半島から何十万という男女が日本列島に連れてこられ、男性は炭鉱の奥で働かされて、抵抗したら殺されたんですよ」と語らせる。
永六輔が人選した10人の芸人たち。伝統芸能の世界で新しい道を模索する芸人、小劇場を中心に活動する芸人など、彼らに共通するのは現代を表現しようとする姿勢。その彼らの言葉から日本の芸能の本質を探りだす。